丹波杜氏
丹波杜氏は、南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)と共に日本三大杜氏の一つに数えられ、宝歴5年(1755)、篠山曽我部(現在の篠山市日置)の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、その起源とされています。
丹波杜氏の供給地は主として多紀郡(現篠山市)の村々で、厳しい生活の中、農閑期の「百日稼ぎ」といわれる「出稼ぎ」(冬季の季節従業員)で生活の糧を得ていました。江戸時代には、伊丹や池田に出稼ぎし、「剣菱」や「男山」など元禄期(1688〜1703年)の伊丹の酒は、丹波杜氏の造り出す銘酒でした。やがて、江戸時代中期以降、伊丹・池田から灘五郷、つまり灘目(上灘と下灘)と今津に移動し、銘酒づくりにその高い技術力を発揮。丹波杜氏は、今あるほとんどの灘の銘酒を作り上げただけでなく、全国に指導に出かけ、地方の酒の原形を作りました。
明治27年(1894)、多紀郡の酒造工で「多紀郡醸造稼業改良組合」(初代組合長・青木禎助)が設立され、その後「多紀郡醸酒業組合」、「丹波杜氏組合」と発展的に改称され、組合員は、最盛期には5,000人を超えていました。また、組合員は杜氏だけでなく、杜氏を補佐する頭(かしら)をはじめ、蔵人さんなども加入。現在では、冬季の季節従業員だけでなく、常勤の従業員も各酒造メーカーからの推薦により、幹事会の議決を経て「社員杜氏」として加入しています。
300年の長い歴史と伝統とに育まれた匠の技が生み出す日本酒。その絶妙の味、香り、色合いは原料の米、良質な銘水、そして、そこで働く蔵人を送り出してきた丹波杜氏あっての名酒といえることができるでしょう。 デカンショ節にも♪「灘のお酒はどなたがつくる おらが自慢の丹波杜氏」と唄われています。