日本遺産の町「丹波篠山 デカンショ節−民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶−」
文化庁が2015年に創設した制度「日本遺産」。その第一期目に選定された全国18件の日本遺産の中で、丹波篠山市のデカンショ節を要にしたストーリー「丹波篠山 デカンショ節−民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶−」が認定されることになりました。
さらに、2017年には「きっと恋する六古窯−日本生まれ日本育ちのやきもの産地−」として、六古窯の1つである丹波焼の産地として2つ目の日本遺産に選ばれました。
日本遺産は、地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定するとともに、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある文化財群を総合的に整備・活用し、国内外に発信することで、地域の活性化を図るという制度です。
この特集では、デカンショ節のストーリーと共に、皆様に観光情報をお届けします。
「丹波篠山 デカンショ節−民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶−」のストーリー
かつて城下町として栄えた丹波篠山の地は、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節によって、地域のその時代ごとの風土や人情、名所、名産品が歌い継がれている。地元の人々はこぞってこれを愛唱し、民謡の世界そのままにふるさとの景色を守り伝え、地域への愛着を育んできた。
その流れは、今日においても、新たな歌詞を生み出し新たな丹波篠山を更に後世に歌い継ぐ取組として脈々と生き続けており、今や300番にも上る「デカンショ節」を通じ、丹波篠山の町並みや伝統をそこかしこで体験できる世界が展開している。
ストーリーを構成する文化財
デカンショ節(市指定無形民俗文化財)
「丹波篠山 山家の猿が 花のお江戸で芝居する♪」
デカンショ節の1番目といえば、この歌詞です。江戸時代から続く民謡「デカンショ節」は明治31年(1898年)、篠山出身の遊学生たちから旧制一高(現東京大学)の学生たちに伝わり、たちまち多くの学生や若者から愛唱され全国に広まりました。
丹波篠山では毎年8月15日〜16日にデカンショ節を唄いながら踊る「デカンショ祭」が開催されます。
篠山城跡(国指定史跡)
「並木千本 咲いたよ咲いた 濠に古城の 影ゆれて♪」
幾度となく歌詞の中で歌われる篠山城跡は、天下普請により慶長14年(1609)年、徳川家康が山陰道の要衝に築いた城で、平成12年には大書院が復元され一般公開されています。丹波篠山のシンボルともいえる篠山城跡は、デカンショ祭の会場や花見スポットとして多くの市民や観光客が訪れます。
篠山城下町地区(国選定重要伝統的建造物群保存地区)
「オラが殿さは 六万石よ 今じゃのどかな 城下町♪」
篠山城跡の周囲に広がる城下町の景色は、江戸時代の武家町や商家町の町割りを残すなど城下町の要素を今も全体によく残しています。町を歩くだけでも、たくさんの歴史に出会えるスポットです。
小田垣商店(店舗他9件)(国登録有形文化財)
「丹波篠山お茶栗さんしょ 野には黒豆 山の芋♪」
丹波篠山の特産物はもちろんデカンショ節にも登場します。特産物を扱う小田垣商店は、18世紀後期の老舗商店の屋敷景観が有形文化財に指定されています。
鳳鳴酒造(主屋他8件)(国登録有形文化財)
「酒は呑め呑め 茶釜でわかせ お神酒あがらぬ 神はない♪」
この歌詞の中に出てくるお酒を造り続けているのが、鳳鳴酒造です。お酒&歴史が好きな人は是非。
旧安間家住宅(武家屋敷安間家史料館)(市指定有形文化財)
「丹波篠山鳳鳴の塾で 文武きたえし 美少年♪」
鳳鳴の塾とは、今の地元高校「県立鳳鳴高等学校」のことです。前身は「藩校振徳堂」から始まり、学問の振興を努めたのが安間家でした。当時の安間家住宅に作られた武家屋敷安間家史料館には、その歴史資料が保存されています。
青山歴史村(旧澤井家長屋門、青山文庫、丹波篠山藩「青山家」古文書、大学衍義補版木他)(市指定有形文化財)
「論語孟子も 読んでは見たが 酒をのむなと 書いてない♪」
青山歴史村に残る三種類の版木(約1200点)は、いずれも篠山藩が翻刻したもので、これら漢学書関係の版木は全国的に珍しいといわれています。また、青山文庫の和漢籍655点は近世国文学の一級資料となっていて、漢籍・歴史・地誌など学問を尊んだ篠山藩の気風を伝える書籍も数多く残されています。
王地山稲荷社本院(未指定)
「花のお江戸で平左衛門が 天下無敵の勝名乗り♪」
「まけきらい稲荷」とも云われる王地山稲荷社。篠山藩のお抱え力士たちが大相撲で連敗していたところに、歌詞に登場する王地山平左衛門ら8人の力士たちが現れて連戦連勝していったのですが、褒美をとらそうとしたときにはどこにもいなくなっていて、調べてみると全員が領内のお稲荷さんの名前だったという伝説が残っています。
稲荷神社のたくさんの鳥居や、秋の紅葉は必見です。
八上城跡(国市指定史跡)
「島と浮かぶよ 高城山が 霧の丹波の 海原に♪」
八上城の本城があった高城山。丹波篠山の武将、波多野秀治と明智光秀が戦った場所でもあります。また、歌詞でも歌われているとおり、霧の濃い時期には頂上から雲海を見ることができます。
篠山市福住伝統的建造物群保存地区(国選定重要伝統的建造物群保存地区)
「夜霧こめたる 丹波の宿の 軒におちくる 栗の音♪」
江戸時代、京都に続く丹波篠山の東にある福住地区は宿場町として賑わいました。福住は農村集落でありながら宿場を補完する役割を担っており、今ものその景色が町並みに色濃く反映されています。
西尾家住宅(主屋他10件)(国登録文化財)
「灘の名酒はどなたがつくる おらが自慢の 丹波杜氏♪」
全国でも名高い丹波杜氏。西尾家は江戸時代から篠山藩御用達として酒造業を営んでいました。
丹波立杭窯(作窯技法)、 丹波立杭登窯(国選択無形文化財、県指定有形民俗文化財)
古丹波コレクション(県指定有形文化財)
「嫁がほしゅうて 轆轤を蹴れば 土はくるくる 壺になる♪」
歌詞にも出てくる壺は、丹波篠山の伝統的工芸品「丹波焼」のことです。その産地として日本遺産にも選ばれた丹波篠山市。日本六古窯の1つである丹波焼は、今も今田地域で各窯元が生産しています。
丹波杜氏(酒造技術)(未指定)
「灘の名酒は どなたがつくる おらが自慢の 丹波杜氏♪」
「デカンショ」の語源の1つとして「出稼ぎしよ」が訛ったものだという説がありますが、この出稼ぎというのが丹波杜氏が灘に出稼ぎに行ったことに由来します。昭和初期には杜氏約780人、蔵人を合わせ約4100人が海外を含む各地で活躍しましたが、高度経済成長とともに、厳しい作業環境を敬遠され、機械化で省力化も進み、現在は杜氏40人、蔵人約130人となっています。
丸山集落(未指定)
「雪がちらちら 丹波の宿に 猪が飛びこむ 牡丹鍋♪」
この歌詞で歌われる情景が広がるのが、丸山集落です。10件の旧茅葺民家が並び、今も其内の2棟の民家が農家民泊として活用されています。
さらに広がるデカンショ節の世界
今回紹介した歌詞は、デカンショ節の300以上あるといわれる歌詞の一部でしかありません。丹波篠山の観光をさらに深く楽しみたい、という方は、デカンショ節の歌詞を調べることで、体験できる世界が広がるかもしれません。