本能寺の変の謎は、丹波篠山にあり!大河ドラマ「麒麟がくる」と丹波篠山市のゆかり
丹波篠山市は、明智光秀が織田信長の命令により【丹波攻め】をおこなった地として知られます。
地元武将・波多野秀治と激戦を繰り広げ、自身の死を覚悟するほど追い詰められますが、何とか勝利し丹波を制圧。丹波一国を治める大出世につながる戦いでした。
しかし、光秀にとっては悲しい出来事が起こった地でもあります。
光秀の母・お牧(ドラマでは石川さゆりが演じる)が丹波篠山市で、
はりつけ処刑されたという伝説が残されています。
(詳しいサイトは▶▶こちら、PDFはこちら)
明智光秀が本能寺の変を起こした1582年6月2日。
その日は、奇しくも明智の母の命日でした。
織田信長の裏切りにより、母を失った明智光秀。
はらわたが煮えかえるようなその怨念こそが、本能寺の変の裏切りを起こしたのではとされています。
丹波篠山で起きた、明智光秀の母をめぐる悲しき物語。(諸説あり)
お米が、明智光秀の運命を変えた!?
光秀と丹波篠山市のゆかりを語るうえで、欠かせない食べ物があります。
それは、戦国時代に兵糧として重宝されたお米です。
光秀はお米を起点として、丹波篠山市で激動の運命を辿っていきます。
お米にまつわる逸話① 明智光秀、敵からお米を奪い戦う
先に書いたように、光秀は丹波平定を目指し、波多野秀治と激しく戦いました。
戦果を上げ続けていた光秀でも、波多野軍の居城・八上城(高城山)が難攻不落の地にあったために、非常に苦戦を強いられす。
そこで、光秀は敵からお米を奪う作戦(いわゆる、兵糧攻め)を実践。
丹波篠山の地を知り尽くした戦上手な波多野軍も食べ物が尽きては苦しく、明智軍が戦況を有利に進めていきます。
▲八上城跡が立つ高城山。光秀が攻め落とすために11度も費やした難攻不落の地
▲八上城と波多野軍を描いた絵図。高城山合戦図の一部より
お米にまつわる逸話② 明智光秀、大火を見舞う
兵糧攻めにより劣勢の波多野軍を心配し、地元僧が八上城内にお米を届け、食糧難を助けていました。
しかし、光秀は山の尾根伝いに兵糧を運ぶ僧を見つけ、怒りの末に僧の寺々(丹波篠山市曽地)に火を放ち、寺は大火に見舞われます。
そして、兵糧を運んでいた僧たちの首を次々とはね、斬殺。お米を届ける者に対する、厳しい仕置き。
▲八上城の危機を救おうとした地元僧の逸話が残されています
お米にまつわる逸話③ 兵糧攻めから始まった戦の結末
それでも、光秀の兵糧攻めに対して、波多野軍は粘り強く籠城します。
焦りがつのる光秀は、波多野軍に母親のお牧を人質に出すことを決意。
敵大将・秀治も命の保証を条件に申し出に応じ、安土にいる織田信長のもとに参りましたが、織田信長は命の保証の約束を破り秀治を処刑。
秀治の家臣らは激怒し、人質であったお牧を八上城跡すぐ近くの松の木にはりつけにし、処刑してしまいます。
▲お牧がはりつけ処刑された跡地
その結果、光秀はお牧の死の原因となった信長を恨み、本能寺の変を起こしたという言い伝えが残ります。真相は如何なるものか。