十兵衛茶屋(重兵衛茶屋)
じゅうべえちゃや
最終更新日: 2021/05/20
国道372号線を八上城跡・高城山の麓の方へ入ると、その道は昔の京街道(山陰街道)で、そこの曲がり角のあたり(八上内)にある江戸時代の茶屋跡。
篠山からの街道と小枕方面からの街道の合流地点で、江戸時代には、八上城下で、参勤交代のための播州方面の大名や、一般旅人たちの休泊所でした。今もその建物の一部が残されています。
また、篠山城下より最初の「八上の一里塚」も間近にあり、京都方面からたどり着けば、一応の目標となる要衝に出来た立場茶屋でした。
行き交う人々が一服して、一息入れる、重兵衛さん経営の休憩所であったわけで、付近には、気軽に入れる茶屋が何軒かあって、繁盛していたものと思われます。
ここに立つと、建物や付近の情景から、ごく自然に、昔の街道筋の賑わいが目に浮かびます。
丹波篠山市指定の文化財になっており、その建築の一部が現存します。
入母屋造、本瓦葺建築で、当時の街道の賑わいを伝える貴重な建物である。
篠山からの街道と小枕方面からの街道の合流地点で、江戸時代には、八上城下で、参勤交代のための播州方面の大名や、一般旅人たちの休泊所でした。今もその建物の一部が残されています。
また、篠山城下より最初の「八上の一里塚」も間近にあり、京都方面からたどり着けば、一応の目標となる要衝に出来た立場茶屋でした。
行き交う人々が一服して、一息入れる、重兵衛さん経営の休憩所であったわけで、付近には、気軽に入れる茶屋が何軒かあって、繁盛していたものと思われます。
ここに立つと、建物や付近の情景から、ごく自然に、昔の街道筋の賑わいが目に浮かびます。
丹波篠山市指定の文化財になっており、その建築の一部が現存します。
入母屋造、本瓦葺建築で、当時の街道の賑わいを伝える貴重な建物である。