本経寺(王地山まけきらい稲荷)
河原町王地山にあり、妙長山と号し、日蓮宗武蔵国池上本門寺の末寺として常陸の国土浦にありましたが、当地への移転に際し、京都の日蓮宗大本山妙顕寺の末寺となりました。
開基は慶長6年。土浦城主松平阿房守信吉が実母(徳川家康姉)の供養のため建立し、妙長山本経寺と号しましたが、後に松平信吉が篠山城主になった際、現在の地に移しました。本尊仏像は慶長11年の作です。
移築の折り、土浦の城中で祭られていた稲荷大明神(吒枳尼天)像も篠山に移され、王地山の地に奥の院として観請された。奥の院として稲荷が祭られた、王地山の鎮守たる王地山稲荷社の本殿・中殿・拝殿・社務所・眷属末社九社と、「まけきらい稲荷」が石の俵のうえに祭られた石社がある。
『王地山』の名前の由来
人皇第五十代垣武天皇の御大、平安遷都に先立って、ここの地が王城候補地の一つに選ばれて、藤原黒智麿が勅命を奉じて検分に来たことがあり、以来その栄誉を伝えて王地山と呼ばれているという。
王地山まけきらい稲荷
王地山公園の西側、赤い鳥居がトンネルのように続く長い石段を丘上に登ると、王地山稲荷神社と向かい合って、土俵の上にお祀りされているのが平左衛門稲荷神社です。またの名を「まけきらい神社」といい、次のような話が語り継がれています。
「篠山藩主青山忠裕公が老中であった約170年前の文政年間の頃、毎年春と夏に、江戸両国の回向院広場で、将軍上覧の大相撲が催されていた。ところが、いつも篠山藩のお抱え力士たちは負けてばかりであった。
ある年の春場所のこと、篠山から来たという王地山平左衛門ら8名の力士と行司1名、頭取1名の 一行10名が現れ、土俵に上がると連戦連勝してしまった。
負けきらいのお殿様は大変喜んで、その者達に 褒美をやろうとされたが、どこにもいない。
後で調べてみると、なんと全員が領内のお稲荷さんの名前だった。
そこで、それぞれに、幟や絵馬などを奉納して感謝したという。」
いまは、招福除災・商売繁盛勝利守護、それに合格成就の神として広く信仰されています。
紅葉観光スポットとしても人気!
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基本情報
- 郵便番号
- 〒669-2325
- 住所
- 兵庫県丹波篠山市河原町 92番地
- 電話番号
- 079-552-0655
- FAX
- 079-552-1860
- アクセス(電車・バス)
- JR福知山線「篠山口駅」下車、バス15分
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