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八上城跡(やかみじょうあと)

八上城跡(やかみじょうあと)

八上城の城主であった波多野氏は、もと岩見国の武士で、応仁の乱後、室町幕府の実権を掌握した細川政元から多紀郡を与えられこの地に定着したとされています。その後、波多野氏は八上を本拠として、室町時代末期にかけて戦国大名に匹敵するほどの実力を蓄えることになります。
波多野氏に関して著名な事歴は、天正3年(1575)から開始される織田信長の丹波掃討戦、いわゆる「丹波攻め」における八上城の戦いです。
天正6年(1578)2 月、三木城主・別所長治が毛利氏と結んで信長に背くが、秀治は長治と姻戚関係にあったことから、この謀反を支援して、ほかの丹波国人衆と共に蜂起したとさ れています。信長は明智光秀に征討を命じ、3月にその軍勢が丹波へ侵攻します。そして、八上城は光秀の軍勢に包囲され、その後1年余りにわたる籠城で、波 多野方は徹底的に食糧を消耗させられることになります。この戦いは最終的に城兵500人ばかりが餓死し、また、城内に明智方へ内通する者があって落城の憂 き目を見ることになります。秀治は、その兄弟と共に生け捕られ、安土へ曳かれ磔刑(たつけい)となり、戦国時代に名をはせた波多野氏は歴史の舞台から消え 去ることになります。
この物語性に富み、かつ、 劇的な攻防戦の主要な場所が八上城です。八上城は標高459mの高城山に築かれており、東西800m、南北400mほどの丘陵内各所に曲輪を配置した大規 模な山城となっています。特に山頂部の主郭には、大規模な連郭式の曲輪群と一部石垣が見られ、堅固な城構えを呈しています。さらに、八上城の西側には奥谷 と呼ばれる谷が南北に延びており、八上城主郭から谷に向かって張り出す尾根の先端に蕪丸城跡(奥谷城)があります。この奥谷城は波多野氏の八上城以前の城 とされ、まず奥谷城を築き、その後、戦国大名化の過程で八上城を城塞化したと見られます。さらに、奥谷の城下町を守るため、その西側に位置する法光寺山を も城塞化(法光寺城)しています。


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